ハイライトBBS 53432


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1:DIGITAL :

2010/06/30 (Wed) 00:01:45

ギリシア世界
Ⅰエーゲ文明
前半…( 1 )文明
後半…( 2 )文明
( 1 )文明…前200年代に栄えた、( 1 )島を中心に栄えた海洋的かつ開放的な文明
      主に絵文字や線文字Aなどが使われ、( 3 )によって( 4 )などの遺跡が発掘された
( 2 )文明…前1500年代に栄えた、ギリシア人の一派である( 5 )が南下し作った、戦闘的で閉鎖的な文明
        ( 2 )・( 6 )( 7 )などの都市国家を建設した
        ドイツの( 8 )によって発掘され、主に使われていた( 9 )がヴェントレスによって解読された
        前1300~1200年代に( 10 )の移動によって滅びた
暗黒時代…前1200~800年代、( 2 )文明の崩壊に伴い、ギリシア全域が混乱し人口が減少し、
       ( 10 )・( 11 )・( 12 )などの強力な民族が生き残った
2:DIGITAL :

2010/06/30 (Wed) 00:08:59

Ⅱポリスの成立と繁栄
暗黒時代終了後(前8世紀頃)、各地で村落が成立
( 13 )=集住…防衛・政治・社会生活などに便利。後に有力な指導者が現れ( 14 )のさきがけとなった
( 14 )…丘にアクロポリスという神殿、その前にアゴラと呼ばれる広場、他にもストアと呼ばれる学校や
      法廷・劇場などを有し、城壁で囲まれていた
生活の安定により人口が増加し、植民活動を開始、地中海方面にネアポリス・マッシリアなど、
黒海方面にはビザンチオンなどの植民地を建設した
※ギリシア人との共通性
・ギリシア語・アルファベットの使用
→同言語を使う民族を( 15 )、異民族は( 16 )と呼んだ
・ホメロスの詩…『イリアス』『オデュッセア』などの叙事詩
・ギリシア神話(オリンポス十二進)
・デルフォイのアポロン神の信託
・( 17 )での競技会・・・4年に1度
※主なポリス
・アテネ…( 11 )が( 13 )により形成したポリス
市民(貴族と平民)が奴隷(戦争捕虜・債務奴隷・輸入奴隷)を労働力として使用
・スパルタ…( 10 )が征服により形成したポリス
国王(2人)→平民(1万人)→( 18 )(3~4万人)→( 19 )(10万人)といった上下関係にあり、
平民は主に軍事、( 18 )が商工業、( 19 )が農業に専念する
( 20 )…平民の平等、全平民に軍事訓練、鎖国による国内の団結などの軍事強化のための制度
3:DIGITAL :

2010/06/30 (Wed) 00:25:32

Ⅲアテネの歴史
α民主制の成立
前8世紀…ポリスの成立
  貴族政→9人の執政官( 21 )や将軍など
  (貴族)評議会→民会
・経済活動が盛んになり、平民が自費で武装した( 22 )が増加する
前621年…( 23 )の立法=アテネ最古の法
       →慣習の成文化…刑罰が重い
前594年…( 24 )の改革
  ・( 25 )…所有財産により政治的な権利と軍事的義務を決定
  ・借金の帳消し
  ・債務奴隷を禁止
( 26 )と( 24 )が対立し( 24 )が亡命
( 26 )の( 27 )=独裁政治
  ・非合法に政権を奪う
  ・貧困層に土地を分配、祭典への寄付を行うなどの人気取り政策
 →息子ヒッピアスが権力を継承するが追放される
前508年…( 28 )の改革
  ・地域ごとの集団作り…10の( 29 )を編成
  ・( 30 )の開催…民会の議題整理
  ・民会の開催→直接民主制の実施
  ・( 31 )の実施→僭主が出現するのを予防する
アケメネス朝との対立
前500年~ペルシア戦争へ・・・
4:DIGITAL :

2010/06/30 (Wed) 00:46:10

βペルシア戦争
①前492年…ペルシア海軍の遠征(敵地の下見)
②前490年…( 32 ):アテネの将軍ミルティアデスの活躍でアテネ勝利
③前480年~クセルクセス王の遠征
 同年8/12…( 33 ):アテネ将軍テミストクレスの大活躍でアテネ勝利
前479年…アケメネス朝の敗北
前449年…( 34 )により終戦
→( 35 )の結成
( 35 )…アテネを中心とする軍事同盟。兵士や資金は各ポリスが負担
前443年~429年( 36 )時代
( 28 )の親戚、( 36 )の政治によりアテネの民主性が全盛を迎える
  ・民会への出席を強制(手当て、弁当の支給)
  ・クレーロスで役職者を選ぶ(手当ての支給)
  ・パルテノン神殿の再建
前431年~404年…( 37 )
( 37 )…アテネを中心とする( 35 )とスパルタを中心とする( 38 )の戦争
→( 39 )(=煽動政治)の時代
ギリシアの混乱は続く・・・
5:DIGITAL :

2010/06/30 (Wed) 01:03:21

Ⅳマケドニア
前338年…( 40 )マケドニアVSアテネ・テーベ連合
前337年…( 41 )が結成される
前336年…( 42 )が暗殺され、次王として( 43 )が即位
( 43 )の東方遠征
  ・アケメネス朝への報復
   →前333…( 44 )
      331…( 45 )→アケメネス朝の滅亡
  ・エジプトを制圧し( 46 )を建設
  ・インドに侵入するも、兵士の反乱により撤退
  ・前323年…帰ると見せかけバビロンを制圧。バビロンでの凱旋中に急死
→後継者( 47 )争い
  ・前301年…( 48 )
→三国分立
  ①( 49 )…主にバルカン半島を領土とした。前168年にローマによって併合
  ②( 50 )…主にエジプトを領土とした。前30年にローマによって併合
  ③( 51 )…主にアジアを領土とした。前63年にローマによって併合
※( 52 )時代と文化
( 52 )…ギリシア風の時代
  ・公用語…ギリシア語( 53 )
  ・ギリシア人の東方への移住
  ・( 54 )(=世界民主主義)の流行
→各地の( 46 )が政治・軍事・文化の中心へ・・・
6:DIGITAL :

2010/06/30 (Wed) 01:09:59

疲れたから今日はここまで!!

答えとか続きはまた今度な
7:DIGITAL :

2010/10/12 (Tue) 23:56:22

お久しぶりです
ローマ編が出来ました

───────────────────────────────────────────────────────────────────────
ローマ世界
Ⅰ王政
前753年 ラテン人がティベル側近郊に都市国家「ローマ」を建設
前700年 民族系統不明の先進的文化人エトルリア人の進出及びローマの占領、以後王政が始まる
→前508年 ラテン人がエトルリア人の王を追放
Ⅱ共和政前期
貴族( 1 )による政治…大土地を所有し政治と軍事の中心となった
 ├元老院( 2 )…正式な立法機関。定員:300人、任期:終身
 ├執政官( 3 )…最高官職。定員:2人、任期:1年
 └独裁官( 4 )…臨時の最高官職。定員:1人、任期:半年
平民( 5 )…小土地を所有した小作農。政治的権利がなく、重装歩兵として出兵した
→( 6 )の激化
( 7 )前494年、平民らが新しい都市を建設しようと逃亡。( 8 )の設置によりローマに戻る
( 8 )…( 2 )や( 3 )に反抗できる。身体は「神聖」とされ、任期は2人→10人→20人と徐々に増えた
前471年…( 9 )が開催されるが、実態はただの集会だった
( 10 )…前451年に慣習を成文化して制定され法律としてだけではなく、教育の素材にもされた
→貴族と平民の通婚が可能となり、貴族・平民間の平等が進む
( 11 )…前367に制定され、( 3 )の内1人は平民から選出すること、大土地所有を制限することが明記された
( 12 )…前287年に制定された、平民会の議決は元老院の承認なしにローマの国法になるという法律
      この方の制定により、貴族と平民の政治的平等の達成(=二院制の完成)
新しい支配層( 13 )の登場
※イタリア半島全域の統一(征服)
 ・平民(重装歩兵)の活躍→「法」の制定
 ・前270年ごろ南イタリアの( 14 )征服
 ・( 15 )…三段階の差別を設け、反乱の防止を図った
   上 ( 16 )…先住民の土地にローマ人を移住させ( 17 )を与えた
   中 ( 18 )…征服した人々にある程度の自治を認め、( 19 )を与えた
   下 ( 20 )…征服した人々に、納税・軍事の義務を与えた
Ⅲ共和制後期
・イタリア半島全域の統一が完了し、地中海全域の支配を目指し始める
・社会内での格差が拡大する
α( 21 )
( 21 )…ローマとフェニキア系カタルゴの三回にわたる地中海を巡る対立
 ・第一回(前218~前146年)
   ローマが( 22 )・サルディーニャ・コルシカの3島を植民地化し、( 22 )は最初の( 23 )となった
 ・第二回(前218~前201年)
   カタルゴ側が反撃を開始
   ( 24 )…カタルゴの名将。スペイン領の総司令官として( 25 )、( 26 )での勝利などの戦果を上げた
   ( 27 )…前202年、( 24 )がイタリアから引き返した後、ローマ将軍( 28 )がカタ
ルゴを破った
 ・第三回(前149~前146年)
   ( 28 )の孫にあたるローマ将軍小( 28 )がカタルゴを陸海路を封鎖し包囲、数年かけてカタルゴを飢饉に陥らせ、脅威を取り除いてから町に侵入・放火しカタルゴを殲滅、以後ローマ人を移住させ( 23 )とした
β( 23 )の支配と社会の進化
( 23 )に総督を派遣し、徴税・治安維持を行わせたが、総督は徴税請負人として( 29 )を雇った
→( 30 )の発達
( 30 )…主に総督や( 29 )、またその親族が経営する奴隷を使用した大規模農場。
      輸出用の単一作物農業(モノカルチャー)だった
→( 23 )の( 30 )から安価な穀物の流入し、イタリア産の穀物が売れなくなり中小農民の没落が増加、
  ローマ市内に遊民が増加し社会的不安が増大する
γ( 31 )の改革
( 31 )…( 28 )の孫で相次いで護民官を務め、農民の没落と重装歩兵市民軍の崩壊を防止するために( 11 )の復活を目指したが、兄は大土地の所有者と対立し暗殺され、弟は騎士階層との協力、貧民への安価な穀物の支給、同盟市・自治市への( 32 )の贈与などを行うも自殺する
δ内乱の一世紀
属州の反乱・同盟市戦争の発生
海賊の活動・貧民の暴動の多発化
( 33 )…前73~前71年にかけ、剣奴スパルタクスが10万人の奴隷を率いて反乱を起こした
騎士( 34 )が鎮圧するも、鎮圧方法は暴虐で市民も殺されることがあり市民は私兵を雇った
→私兵を使い、自らがなりあがろうとする派閥争いが増加した
主に、平民派の( 35 )と閥族派の( 36 )が争った
→( 35 )と( 36 )の引退後( 35 )の後継者( 37 )と( 36 )の後継者( 38 )・( 39 )が現れ、前60年に( 40 )を始める
( 39 )…( 38 )に自らの娘を差し出し( 40 )に参加。前58年に( 41 )を行い徐々に名声を高め、その人気の高まりに焦燥を覚えた( 39 )がパルティアに遠征するが、戦死。以後( 38 )と争い、前49年1月15日に内戦が勃発、これに勝利する。
内戦の敗北により( 38 )がエジプトへ亡命、( 37 )もそれを追い、エジプトに侵入するも( 38 )はすでに死んでおり、帰りにトルコに遠征その後、前47年頃にローマに帰国する
「賽は投げられた」「来た・見た・勝った」などの名言を残す
εカエサル暗殺後
前44年 ( 37 )が 「終身」( 3 )に就任し、全権力を自分に集中させる
同  3月15日 ( 37 )が「ブルートゥスお前もか」の名言を残し暗殺される
( 42 )…前43年にカエサルの姪の子( 43 )とカエサルの部下( 44 )・( 45 )が行った
( 45 )はほとんど実験を握れず、( 44 )はクレオパトラと組むも前30年の( 46 )で( 43 )に負け、( 43 )を元首とした「帝政」が始まる

Ⅴ帝政前期
α帝政の開始
前27年、元老院が( 43 )に「大神官」・「尊厳者」を意味する( 47 )の称号を与え、
( 49 )「=ローマの平和」を合言葉とした、帝政=元首政( 48 )が始まる
( 49 )により戦争が減少→奴隷の供給の減少→( 30 )の行き詰まりに繋がった
( 50 )…後54~68年に家庭教師セネカの教育を受けキリスト教の迫害を行った
β五賢帝時代
五賢帝…帝政時代、最盛期を迎えたときの五人の皇帝。
( 51 )・( 52 )・ハドリャヌス・アントニウスピクス・( 53 )の五人
→皇帝権力の衰退
( 54 )…212~214年に在位し、浴場の建設・( 55 )の施行などを行い、
第二のアレクサンドロス大王を目指したが、暗殺された
この後軍人皇帝時代が始まる
Ⅵ帝政後期
( 56 )…284~395に在位し、皇帝崇拝の強制・( 57 )による帝国支配の再建・キリスト教徒に対する大迫害などを行うがキリスト教徒を殺しきれず引退
( 57 )…305~338年に在位し、多くの功績を残したことから「大帝」と呼ばれる
主な功績
・キリスト教信仰の公認し、313年に( 58 )を公布した
・( 57 )を廃止し独裁を行う
・325年( 58 )で「三位一体論」を打ち出す
・330年首都をローマから( 59 )に移転
・332年( 60 )を発令し、( 61 )により土地を得たコロヌスが移動することを禁じた
( 61 )…( 49 )により荒廃した( 30 )を分割し小作人(コロヌス)に貸し出した
( 62 )…379~395年に在位した古代ローマ帝国最後の皇帝
      在位中に( 63 )の大移動を受けて社会に大混乱が起こる。またキリスト教を国教化したことにより古代オリンピックが終わりを告げた
領地を二子に分割し、帝国を存続させた
兄:東ローマ帝国(首都:コンスタンティノーブル)1453年まで存続
弟:西ローマ帝国(首都:ローマ)476年に滅亡

───────────────────────────────────────────────────
答え・・・いらないよね

8:DIGITAL :

2010/10/15 (Fri) 21:33:02

Ⅶキリスト教
キリスト教の母体
・( 65 )…選民思想と救世主待望
・( 66 )…最後の審判
( 67 )がローマの属州となり、総督や騎士による支配に苦しめられる
( 68 )が盛んになり( 69 )と( 70 )の二つの流派に分かれる
( 69 )…戒律を守る厳格な流派。主流となった
( 70 )…ローマ人に対しての布教を行った

イエス…ベツレヘムで誕生。ナザレでの宗教活動及び医療福祉活動を行い人々に「神の国は近づいた」「悔い改めよ」などの言葉を残した
      ローマの総督( 71 )により不敬罪で逮捕・処刑される
      処刑は13日金曜日にイェルサレム郊外のコルゴダの丘で行われた
十二使徒によって埋葬されるが三日後の日曜日に復活
→( 72 )を中心とする使徒たちによる布教が始まるが、( 50 )により処刑される
( 73 )…「異邦人の使徒」と呼ばれ、( 74 )の編集を行ったキリスト教徒
      ( 72 )と同じく( 50 )によって処刑される
( 74 )…マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四人が書いた福音書を編集したもの
ギシリア語(コイネー)で書かれた
( 56 )に大迫害を受けるが、次期皇帝( 58 )により公認される
→( 75 )で( 76 )の三位一体論が( 77 )の説に勝ち、( 75 )が正統派となる
三位一体論…神とイエスと聖霊は同一のものであり、聖霊の偶像である教会を崇拝することにより神を崇拝することにもつながるという説
( 63 )により、キリスト教の( 76 )が国教として認められる
( 77 )…( 78 )とカルゲドン公会議の二回にわたり新説を説くが追放される
9:DIGITAL :

2010/10/16 (Sat) 20:01:55

65 ユダヤ教
66 ゾロアスター教
67 パレスティナ
68 パリサイ派
69 サドカイ派
70 ベツレヘム
71 ピラトゥス
72 聖ペテロ
73 聖パウロ
74 新約聖書
75 二ケーア宗教会議
76 アタナシウス派
77 アリウス派
78 ネストリウス派
79 エフェソス公会議
10:DIGITAL :

2010/10/17 (Sun) 10:56:31

Ⅶキリスト教(訂正版)
キリスト教の母体
・( 65 )…選民思想と救世主待望
・( 66 )…最後の審判
( 67 )がローマの属州となり、総督や騎士による支配に苦しめられる
( 65 )が盛んになり( 69 )と( 70 )の二つの流派に分かれる
( 68 )…戒律を守る厳格な流派。主流となった
( 69 )…ローマ人に対しての布教を行った

イエス…( 70 )で誕生。ナザレでの宗教活動及び医療福祉活動を行い人々に「神の国は近づいた」「悔い改めよ」などの言葉を残した
      ローマの総督( 71 )により不敬罪で逮捕・処刑される
      処刑は13日金曜日にイェルサレム郊外のコルゴダの丘で行われた
十二使徒によって埋葬されるが三日後の日曜日に復活
→( 72 )を中心とする使徒たちによる布教が始まるが、( 50 )により処刑される
( 73 )…「異邦人の使徒」と呼ばれ、( 74 )の編集を行ったキリスト教徒
      ( 72 )と同じく( 50 )によって処刑される
( 74 )…マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四人が書いた福音書を編集したもの
ギシリア語(コイネー)で書かれた
( 56 )に大迫害を受けるが、次期皇帝( 58 )により公認される
→( 75 )で( 76 )の三位一体論が( 77 )の説に勝ち、( 76 )が正統派となる
三位一体論…神とイエスと聖霊は同一のものであり、聖霊の偶像である教会を崇拝することにより神を崇拝することにもつながるという説
( 63 )により、キリスト教の( 76 )が国教として認められる
( 78 )…( 79 )とカルゲドン公会議の二回にわたり新説を説くが追放される
11:DIGITAL :

2010/11/26 (Fri) 17:35:39

インドの古代文明
Ⅰインダス文明
( 1 )…前2300年頃、インダス川流域に繁栄した、( 2 )・( 3 )などを代表的な遺跡として持つ都市文明
      ( 4 )が先住しており、現在未解読であるインダス文字を使用、動植物・地母神を信仰した
      また、大浴場や排水設備か完備されており、計画的な都市文明だったといえる
      さらには、遺跡に王宮や王墓が無いので特定の王権を持たない民主的な文明だったことがうかがえる
      ( 5 )の侵入・川の氾濫による洪水・気候や流路の変化による水不足や洪水などの理由で滅びた
Ⅱヴェーダ時代
( 5 )…前1500年頃( 6 )を通ってインドに侵入、( 4 )は南インドへの南下を余儀なくされる
      自然崇拝が栄え( 7 )が編集された
      前1000年頃、ガンジス川流域へ移動し、その後、鉄製道具の使用が始まった
      鉄製農具の使用により、生産性が向上し、そこから貧富の差や農業以外の職業が生まれた
( 8 )…( 9 )を根底に持つ宗教。( 10 )の最上位( 11 )が自らの特権的地位を守るために生まれた
( 10 )…多種多様な人種・集団を統治するために作られた、人々を( 11 )・( 12 )・( 13 )・( 14 )の
       四段階に差別し、( 15 )の基盤となった制度
( 16 )…「色」の意。( 5 )が自らと先住民を肌の色で区別した。( 4 )は黒っぽい肌をしている
( 17 )…「生まれ」の意。同じ職業の人どうして結婚・食事をすることを定めている
Ⅲ都市国家の成長と新しい宗教
前600年頃、城壁で囲まれた都市国家が成立し、( 18 )( 19 )が有力となる
( 12 )・( 13 )が社会に台頭し始め、( 11 )支配に対する不満が現れ、新しい主教が生まれる
( 20 )…前6~5世紀頃、( 12 )出身の( 21 )が( 8 )に反発して開祖。不殺生・苦行を重視し、
       主に( 13 )から支持された
( 22 )…前5世紀頃、( 23 )が( 8 )に反発して開祖となる。八正道の実践による解脱と苦行を行わず
       精神的修行を重視したことで( 12 )と( 13 )などに支持された
( 24 )…前7世紀頃、形式主義に対する革新を目指して生まれた。内面の思索を重視し、( 25 )による
       輪廻からの解脱を目標とした。( 26 )が宇宙の本質「梵」を、( 27 )が人間の本質「我」を・・・
→( 10 )による差別の否定・平易な言語による布教・階層を意識せず、個人としての能力の評価などの
共通点があり、そこから現在のインドの80%が信仰するヒンデュー教が生まれた
Ⅳ統一国家の成立
前四世紀、( 18 )のナンダ朝が台頭し始める
・前327年、ギリシアからアレクサンドロス大王が侵入、その後のセレウコス朝の侵入などを経て、外国へ
 対抗するため、インド統一の機運が促進される
( 28 )…前317年に建国された、インド史上初の統一王朝
      創始者はシュードラ出身の( 29 )、首都は( 30 )で第3代王の( 31 )のときに全盛を迎えた
( 31 )…南端を除く全インド亜大陸を征服した( 28 )全盛時の王
      ( 22 )に帰依し、第三回( 32 )を行い仏塔( 33 )の建設、( 34 )による支配を行った
( 34 )…不殺生を守り、正しい人間関係を維持、すべての宗教を保護し、諸民族の多様さを認め、争わない政治
       領地の各地に磨崖碑や石柱碑などに刻まれている
平和よる政治を意識しすぎて軍事力が低下、外界の遊牧民の侵入に抵抗できなかったことや、国土が広すぎて
 支配するための費用が莫大となり財政苦難に陥ったことなどにより、各地で分裂が始まり( 28 )が消滅した
ⅴクシャーナ朝と仏教の革新
( 31 )の死後、国の分裂が進む
( 35 )から西北インドにイラン系異民族の侵入
後1世紀、クシャーナ族が( 36 )を建国
( 36 )…プルシャプラを首都とし、ローマと中国の通商路の要衛など国際的な経済活動が行われた
      ( 37 )のときに最盛期を迎え第四回( 32 )の実施、金貨の大量発行などを行った
・従来の仏教は個人としての解脱を目指し、東南アジアに伝わった南伝仏教や戒律の厳しい上座部仏教に
 派生したが、クシャーナ時代にはあらゆる人の救済を目指し、菩薩信仰を行う( 38 )が生まれた
・ヘレニズム文化の影響で仏像の製作が始まる
→( 39 )美術…ギリシア的要素が強く、シルクロードを経て中国・朝鮮半島・日本にも伝わる
→三世紀半ば、ササン朝ペルシアにより滅亡
※ガンダーラ仏とギリシア文化の像の共通点
・服装が似ている…右肩のあいたひだの多い服
・体毛…髪の毛がカールしてひげがある
・顔のつくり…鼻が高い
12:DIGITAL :

2010/11/26 (Fri) 17:36:38

1  インダス文明 2  モエンジョ・ダーロ 3  ハラッパー
4  ドラヴィダ人 5  アーリア人 6   カイバル峠
7  リグ・ヴェーダ 8  バラモン教 9   祭司万能主義
10 ヴァルナ制 11 バラモン 12 クシャトリヤ
13 ヴァイシャ 14 シュードラ 15 カースト制度
16 ヴァルナ 17 ジャーティ 18 マカダ国
19 コーサラ国 20 ジャイナ教 21 ヴァルダマーナ
22 仏教 23 ガウタマシッダールタ 24 ウパニシャッド哲学
25 梵我一如 26 ブラフマン 27 アートマン
28 マウリア朝   29 チャンドラグプタ王 30 パータリプトラ
31 アショーカ王 32 仏典結集 33 ステゥーパ
34 ダルマ政治 35 バクトリア 36 クシャーナ国
37 カニシカ王 38 大乗仏教 39 ガンダーラ 
13:DIGITAL :

2010/11/26 (Fri) 17:40:01

>>12
見づら過ぎるのでもう一回貼る

1  インダス文明
2  モエンジョ・ダーロ
3  ハラッパー
4  ドラヴィダ人
5  アーリア人
6   カイバル峠
7  リグ・ヴェーダ
8  バラモン教
9   祭司万能主義
10 ヴァルナ制
11 バラモン
12 クシャトリヤ
13 ヴァイシャ
14 シュードラ
15 カースト制度
16 ヴァルナ
17 ジャーティ
18 マカダ国
19 コーサラ国
20 ジャイナ教
21 ヴァルダマーナ
22 仏教
23 ガウタマシッダールタ
24 ウパニシャッド哲学
25 梵我一如
26 ブラフマン
27 アートマン
28 マウリア朝  
29 チャンドラグプタ王
30 パータリプトラ
31 アショーカ王
32 仏典結集
33 ステゥーパ
34 ダルマ政治
35 バクトリア
36 クシャーナ国
37 カニシカ王
38 大乗仏教
39 ガンダーラ 
14:DIGITAL :

2010/11/26 (Fri) 17:58:29

中国史
Ⅰ黄河・長江文明
α黄河文明
主に内陸部に栄えた( 1 )文化・海沿いに栄えた( 2 )文化の二種類がある
( 1 )文化…前5000~3000年代に栄えた原始的農耕文化
・磨製石斧や( 1 )石器を使用し、四角または楕円型の竪穴式住居に居住
・代表的な遺跡は河南省の( 3 )や陜西省の( 4 )など
( 2 )文化…前2000~1500年代に栄えた農業主体の文化
・( 2 )黒色研磨土器や( 5 )・( 6 )などの三足土器などを使用した
・ 灰陶
・ また、( 7 )と呼ばれる厚手の灰色粗製土器も使われた
・農業を主体とし、牛や馬などの大型の家畜を飼育した
・最規模な集落( 8 )を結成、その周りに土塁を作外敵の侵入を防いだ
・( 1 )と同じく竪穴式住居に居住し、主な遺跡は山東省の( 9 )
β長江文明
長江文明…長江流域に分布した初期稲作の文明
     主な遺跡として中国で最大の遺跡と呼ばれる( 10 )がある
Ⅱ王の時代
( 11 )…長江文明の中で特に強大な力を誇った伝説の王や皇帝たちの総称
( 12 )…禹が作ったとされる王朝。実在が疑われている
( 13 )…「にぎやかで富み栄えていること」を意味し、商と自称
・確認されている中では最古の王朝
・前1300年代に河南省安腸市小屯に首都( 14 )を建設。遺跡名は( 15 )
・王が政治と祭祀を支配する( 16 )を採用、王墓が巨大なことから王の権力が強かったことが伺われ、いくつもの( 17 )の長が王となった
・王が全ての事象を占い亀甲や獣骨に刻んだ→( 18 )となる
Ⅲ周
周…首都は( 19 )、のちの長安である
α西周
( 20 )…周王である武が反乱を起こし殷の紂王を倒し、西周が成立する
( 21 )…周王が王の親族や功臣・( 22 )を従え、それらが( 22 )の家臣団である卿・大夫・士を従えるという西周の政治形態。封土建国制度の略
( 23 )…同姓の親族(男系)が本家の家長を中心に集まったもの。
( 24 )…( 23 )の中で取り決められた決まり
農村は「社」という村落共同体を構成し村落全体が支配に服した。
井田法制が実施されていたといわれるが詳細は不明
β東周
異民族( 25 )の侵入により平王が都を( 26 )に移したことが始まりとされる
以降王室の権威が低下し( 22 )が自立し始める

( 27 )…前770~403年まで
周王の変わりに( 28 )と呼ばれる5人の有力な諸侯が活躍し( 29 )を謳った
( 28 )…斉の桓公・晋の文公・楚の荘王・呉王( 29 )・越王( 30 )の五人
( 31 )…前403~221年。晋が分裂したことにより始まった下克上の時代
( 32 )…戦国末期まで生き残った七つの強国。(33)(34)(35)(36)(37)(38)(39)
( 40 )…七雄の中でも(33)が強大だったために他の六国の間で行われた策
( 41 )…蘇秦が提唱した縦の意味をもつ対策案。(33)対六国
( 42 )…張儀が提唱した横の意味を持つ対策案。(33)と個別で和平条約を結ぶ
( 43 )…(33)の他国征服策(34)(35)と組み、その他の国を攻める
( 27 )中期から肥料と犂などの( 44 )が使われ始め、( 45 )の普及と相俟って農業生産効率が向上した
また、商工業も向上し、刀銭・布銭・環銭・蟻鼻銭などの青銅貨幣が普及した
( 44 )…旧い秩序の崩壊と富国強兵策を背景に活躍した思想家たち
( 45 )…性善説をとく孟子や性悪説を説く荀子とその師である孔子など
( 46 )…老子や荘氏などが「無為自然」をといた
( 47 )…墨子が非攻や兼愛などを説いた
( 48 )…( 52 )・( 57 )・韓非などが法による政治のありようを説いた
( 49 )…蘇秦と張儀の二人が( 40 )を説いた
( 50 )…孫子と呉子が陸軍や水軍のあり方を説いた
( 51 )…公孫竜が名と実の関係を説いた
Ⅳ秦の全国統一
前4世紀、秦の孝公が( 52 )を登用 
( 52 )…( 53 )や什伍の制を実施した法家の思想家
     ( 54 )を信条とした政治を行った
→秦の国力が増大し、魏に侵略、( 55 )に首都を移した
前221年、秦の( 56 )が斉を倒し天下統一する。
( 56 )…本名:嬴政。前210年に死亡     
主な政策
・法家の( 57 )を丞相として重用
・( 53 )の全国導入…36郡から48郡へ
・貨幣の統一…環銭で方孔の( 58 )に統一した
・文字の統一…県庁では( 59 )
・( 60 )の統一…単位を統一した
・馳道の建設・車軌の統一
・民間人から武器の没収及び富豪の( 61 )への強制移住
・( 62 )…( 57 )が実用書(医学書や農学書)を除く
全ての書物の焼却を命じた
      翌年これに反対する学者らを拘束・生埋めにした
・大土木工事…( 63 )や驪山陵、墓となる( 64 )の建設や
       北方民族対策としての( 65 )の建設などを行った
・北方遠征…将軍:蒙恬をモンゴル地方へと派遣し( 66 )を討伐した
・南方の南越を討伐した
死後、丞相( 57 )と宦官趙高が暗躍し次皇帝として胡亥が即位
( 67 )…前209~208年、( 68 )が都( 55 )を焼き払い、秦を滅ぼした
     「王侯将相 いずくんぞ種あらんや」
( 68 )…( 67 )で咸陽を焼き払うが( 69 )で( 70 )に敗れる
( 70 )…華北の農民層出身。法三章を掲げ( 68 )と戦い( 69 )で勝利、「鴻問の會」の故事などを残し、後に漢の高祖となる
Ⅴ漢の全国統一
α前漢
( 71 )…首都周辺は郡県制、地方は功臣が封建制
白登の戦いで( 66 )に敗北、以後対外消極策をとる
高祖の死後、皇后の呂一族が政治を専横、一時的に政治が乱れる
( 72 )…景帝の諸侯抑制政策に諸侯が猛反発。鎮圧後は全国が郡県制となる
( 73 )…全141~87年に在位した前漢史上最大の王
主な功績
・対外遠征
北方:将軍( 74 )や( 75 )の活躍によりモンゴル地方の( 66 )を征討
西方:( 66 )を挟み撃ちにするため( 76 )を( 77 )のもとへ派遣
交渉には失敗するが( 76 )と孝広利の活躍で汗血馬を取得する
東方:衛氏朝鮮を滅ぼし( 78 )郡などの三郡を朝鮮半島に設置
南方:南越を滅ぼし新たに9郡を設置
・経済政策…対外遠征の増加により金欠に陥った
・( 79 )…塩・鉄・酒などの販売を政府が行った
・( 80 )…特産物を政府が安く購入し、不足地で高く転売
・( 81 )…収穫期に政府が物資を貯蔵し、不足時に高く転売
・新貨幣の鋳造…( 82 )
・( 83 )による官吏の任用…地方から推薦方式で有望な人材を集めた
・儒学の官学化…董仲舒の助言
武帝の死後皇帝権力が衰退し、外戚・官僚・宦官により政治が私物化された
また、国力も低下し、( 66 )に侵略される→和蕃公主で平和維持を図った
豪族の強大化により、豪族抑制政策として公田制が復活され、その後に大土地所有を制限する( 84 )が施行される
幼少の皇帝が続いたことにより実権外戚であった( 85 )が握った
β新
新…前1年~後8年まで続いた
( 85 )が帝位を奪い、長安を首都とした
「周来」に基づいた復古的な政治の強行するが失敗。対外政策も失敗する
( 86 )…前18~27年にわたり続いた赤い眉毛を目印とする反乱
23年、劉玄が( 85 )を殺害、27年に長男を占拠した反乱軍を劉秀が平定した
γ後漢
( 87 )…25年に劉秀が即位し改名。( 89 )に都を置いた
対外政策
北方:( 66 )を征討し、分裂へ追いやる
西方:・( 90 )が( 91 )に任命される
   ・( 90 )の部下、( 92 )を大秦国(ローマ)に使わせる
   ・安敦(マルクスアウレリウスアントニヌス)の使者が漂着する
東方:( 78 )を中心に朝鮮半島を支配
   ・公孫氏が( 78 )の南に大方郡を開拓。以降、倭と貿易が行われる
   ・倭の使いが( 89 )に至り( 87 )はこれに金の印綬をさ与えた
南方:ベトナム北部で豪族、徴姉妹の反乱がおきるが鎮圧

150年以降、外戚・官僚・宦官の暗躍により政治が混乱
( 93 )…166年と169年に発生。官僚と宦官の対立事件
( 94 )…184年、民間宗教(特に張角の太平道)の流行により起こった反乱
    黄色の布を目印とした
δ漢の社会と文化
社会
古代的な氏族・宗教が崩れ家族単位の小規模な農業運営が盛んになる
→徴税の対象となり重税に苦しむ農民が逃走
→豪族が土地を手に入れ限田法が失敗に終わる
文化…中国古典文化の発達と完成の時代
・儒学…前漢:( 95 )の献策で官学化
    後漢:( 96 )→( 97 )や( 98 )が大成
・道教…老荘の思想に民間信仰が合体。張角の太平道や張陵の五斗米道など
・文字…隷書(武帝~)→楷書(後漢~)
・記録媒体…後漢の宦官( 99 )が紙を開発する
・歴史書…( 100 )『史記』
     ( 101 )『漢書』
皇帝の伝記(本記)と家臣・将軍の伝記(列伝)からなる( 102 )
15:DIGITAL :

2010/11/26 (Fri) 18:02:05

1  彩陶
2  黒陶
3  仰韶遺跡
4  半玻遺跡
5  鼎
6  鬲
7  灰陶
8  邑
9  城子崖遺跡(または竜山遺跡)
10 河姆渡遺跡
11 三皇五帝
12 夏王朝
13 殷
14 商邑
15 殷墟
16 神権政治
17 邑
18 甲骨文字
19 鎬京
20 易姓革命
21 封建制度
22 諸侯
23 宗族
24 宗法
25 犬戎
26 洛邑
27 春秋時代
28 五覇
29 夫差
30 勾践
31 戦国時代
32 戦国の七雄
33 秦
34 燕
35 斉
36 趙
37 魏
38 韓
39 楚
40 合従連衡
41 合従策
42 連衡策
43 遠交近攻
44 諸子百家
45 儒家
46 道家
47 墨家
48 法家
49 縦横家
50 兵家
51 名家
52 商鞅
53 郡県制
54 信賞必罰
55 咸陽
56 始皇帝
57 李斯
58 半両銭
59 小篆
60 度量衡
61 咸陽
62 焚書坑儒
63 阿房宮
64 兵馬俑
65 万里の長城
66 匈奴
67 陳勝呉広の乱
68 項羽
69 垓下の戦い
70 劉邦
71 郡国制
72 呉楚七国の乱
73 武帝
74 衛青
75 霍去病
76 張騫
77 大月氏
78 楽浪
79 専売制度
80 均輸法
81 平準法
82 五銖銭
83 郷挙里選
84 限田法
85 王莽
86 赤眉の乱
87 光武帝
89 洛陽
90 班超
91 西域都護
92 甘英
93 党錮の禁
94 黄巾の乱
95 董仲舒
96 訓詁学
97 馬融
98 鄭玄
99 蔡倫
100 司馬遷
101 班固
102 紀伝体
16:DIGITAL :

2010/11/28 (Sun) 18:14:21

Ⅵ三国時代
α魏
黄巾の乱の後、( 1 )が中央政界に進出するが、192年に暗殺される           
( 2 )…( 1 )の死後、勢力を拡大し南下を計画するが( 3 )で( 4 )に敗れる
( 2 )の死に伴い後漢が滅亡、息子の曹丕が魏を建国し、( 5 )に都を定める
荒れた土地を農民に耕作させる( 6 )と管理任用法としての( 7 )を法とした
その後、街亭の戦い・五丈原の戦いで蜀に攻め込み合併( 8 )となった
また、倭の女王卑弥呼が訪中し「親魏倭王」の印綬を与える
β蜀
劉備…関羽・張飛と共に活動を開始する。
( 9 )を軍師として採用し、三顧の礼・天下三分の計などを提唱した
   関羽・張飛に先立たれるも221年に蜀を建国し成都を首都とした
白帝城の戦いで死亡
劉禅が跡を継ぐも街亭の戦いでの敗北、( 10 )の死亡などにより降伏、蜀が滅亡する
γ呉
190年代に孫堅が勢力拡大
息子の( 4 )がさらに権力を拡大させ( 3 )で魏を破り、呉を建国。建業を都とする
δ西晋
西晋…( 11 )が( 5 )を都として建国。一時的に全国統一を成し遂げるも、
八王の乱・永嘉の乱と匈奴の侵入により滅亡し南北朝に分裂する
   占田法・課田法・戸調式による税収をはかった
Ⅶ南北朝時代
α北朝
( 12 )…316年~469年の間、五胡と呼ばれる五種類の民族が十六の国を建てた
     モンゴル系の匈奴と羯、チベット系の氐と羌、トルコ系の( 13 )
     前秦が華北を統一し( 14 )に戦いを挑むも大敗=( 15 )
北魏…( 13 )系( 17 )氏が華北を統一する
   仏教が盛んになり冠謙之が( 18 )を著す
( 19 )が漢化政策を実施。( 20 )・租調庸制・( 21 )などを打ち出す
北魏が東魏と西魏に分裂するも、その後身の北斉と東周が併合し( 22 )となる
β南朝
東晋…( 23 )が317年に建国し、建康に都を置いた
   383年、( 15 )で前秦に勝利、法顕のインド旅行などを経て宋となる
( 24 )…戸籍をつくり、租税の徴収と反乱の防止を図った
以後、宋→斉→梁→陳を経て( 22 )と合併し全国統一を成し遂げる
γ魏晋南北朝の制度

・( 6 )…持ち主のいない土地を公有として流民に耕作させ小作料を取る
・( 7 )…各地方に中正間を置き人物評価を9段階で行った
西晋
・( 25 )…青年男女に土地を支給し、土地を私有してよい限界を提示した
・( 26 )…荒地などを強制的に耕作させ租税を課した
・( 27 )…各戸の成年男子の人数ごとに現物税を課した
東晋
・( 24 )…流入者に現地で戸籍を作成させ、租税徴収・人口の把握などを行った
北魏
・( 20 )…一定年齢の農民男女に土地を支給し、租税対象とした
・租調庸による税収
・( 21 )…隣保班制度。隣・里・党のそれぞれに長をおいた
ε魏晋南北朝の文化
宗教
・道教…道教の「清談」が流行し竹林の七賢の中でも阮籍は白眼視の元となった
・仏教…石窟寺院の建立が盛んになり大同付近の( 29 )や洛陽付近の( 30 )、
莫高窟の敦煌に建設された
    西域僧の来朝が多くなり、900寺建立の( 31 )や仏典を漢訳した( 32 )、
中国禅宗の祖となった( 33 )など多くの人物が訪れた
絵画…顧凱之が「女子箴図」を描いた
文学…陶淵明が「帰去来の辞」を賈思勰が経済書「斉民要術」を著し、
梁の昭明太子が「文選」を編集した
書道…東晋の書家、王義之が「蘭亭の序」を書いた
Ⅷ隋・唐の統一
α隋
隋…北周の親戚だった楊堅が( 34 )に都を置き建国
  管理任用制度として選挙法を実施。後に( 35 )とよばれる制度になる
  日本からは遣隋使と呼ばれる使者が来朝した
楊帝…江南と華北を結ぶ大運河を建設した
   また東突厥に攻撃、林邑・赤土国・琉求に遠征を行った
三度の高句麗への遠征全てに失敗し、全国各地で反乱が多くなり滅亡した
β唐
山西省で李淵が挙兵し隋を滅ぼし建国。長安に都を置いた
( 36 )…626年に即位し全国を統一、( 37 )を整備し( 38 )を実施した。即位後は太宗
( 37 )…刑法の「律」行政法の「令」補充改正の「格」細則を定めた「式」で成り立つ
( 38 )…皇帝が三つの省と( 39 )を管理し、三省が六の部を司った
また、地方官制としては( 40 )を実施、均田制や租調庸、府兵制なども実施した
高宗(李治)…649年に即位し当時、唐の支配領域が最大となり、冊封体制が確立した
( 41 )…中国の周辺地域に六都護府を設置した
当時の対外政策
・北・西…北と西の( 42 )を撃破
・南…ベトナム中部まで侵入
・東…( 43 )で百済を滅ぼし、さらに新羅と組んで高句麗を滅ぼした
その後、高宗は病床に伏し皇后が政治を補佐するようになる
( 44 )…高宗の死後、息子たちを即位させるも廃位させ最終的に自分が即位した
( 44 )の死後、息子の中宗が復位しその妻の韋皇后が実質的に権力を握る
( 45 )…( 44 )と韋皇后が政治の実権を握り政治が混乱した期間
( 46 )…睿宗の息子。韋皇后を倒し712年に即位。十節度使を設置し( 47 )を開始した
     十節度使はやがて藩鎮となり力をつけた。
( 48 )…将軍:高仙之が敗北し多くの兵士がイスラム勢力の捕虜となり、製紙法が広まった
( 49 )…安禄山と史思明が反乱を起こすが、唐は自力で鎮圧できずウイグルの力を借りる
→国力の低下に伴い専売制を強化する
( 50 )…宰相:楊炎が提案。私的な土地所有を認め年に租税を麦と米の二回徴収する
( 51 )…王仙芝が塩の専売制に反抗し挙兵、これに呼応して黄巣も挙兵。
     王仙芝が戦死した後も黄巣は活動を続けるも部下の朱温が裏切り自殺。
朱温は唐皇帝から( 52 )の名を賜るが907年に唐を滅ぼし後梁を建国する
γ唐の文化
・農業生産が増加し、余剰生産物の売買が起こりが発生。定期市となる
・商業も発達し、同業組合が結成され大都市(長安)が繁栄。また支払いが多くなり、
紙幣の起源となった( 53 )なども作られた
・貿易面では陸上ルートではシルクロードを経由しイラン系のソグド人の商人が活躍し、
 海上ルートでは( 54 )と呼ばれたアラブ系の商人が活躍し、( 55 )と呼ばれる
外人居住地や、税関である( 56 )が設置された
・仏教は著しく発達し、インドへの中国僧侶の留学が増加し、玄奘三蔵が「 57 」を、
 義浄が「 58 」を著した
・主な外来宗教
祆教…ゾロアスター教。イランから伝わった
景教…ネストリウス派のキリスト教。大流行した
摩尼教…マニ教。イラン方面から伝わった
回教…イスラム教。ウイグル人(回紇人)が布教し、広州にモスク清真寺が建設された
Ⅸ唐代までのアジア・チベット
α朝鮮半島・中国東北地方
古朝鮮…檀君神話などの伝説的な王朝も含む。
( 59 )…前290~190年ごろ、殷の滅亡時に賢人箕子が建てたとされる
( 60 )…前190、秦の始皇帝の支配から逃亡した衛満が( 59 )を滅ぼして建てたとされる
前108年、前漢武帝が朝鮮を征服し楽浪郡・玄菟郡・真番軍・臨屯郡の四郡を設置
後漢末期には楽浪郡南部に帯方郡が設置される
三世紀ごろから三韓(馬韓・弁韓・辰韓)が成立した
・高句麗
前1世紀頃に中国東北地方で建国し、次第に南下。首都は丸都城で313年に楽浪郡を占領
( 61 )の時代に全盛を迎える。死後に碑文が立てられ百残・倭を倒したことを讃えている
その後、隋の煬帝の三度の遠征に耐えるも唐と連合した新羅に滅ぼされる
→移民は靺鞨族・大祚栄に率いられ渤海を建国した
・百済
4世紀頃に朝鮮半島南西部で馬韓を統一する
高句麗、新羅の圧迫を受け倭と連合するも唐と連合した新羅に滅ぼされる
( 43 )で百済再興のために日本水軍と共に戦ったがまたも大敗
・新羅
4世紀半ばに朝鮮半島南東部で辰韓を統一する
唐と同盟して百済・高句麗を滅ぼし朝鮮半島全域を統一し唐を遼東半島方面に後退させる
統一後は唐の( 37 )や出身氏族によって身分を五段階に区別する( 62 )を導入
仏教文化も発展し慶州の仏国寺が有名となる
中央貴族の政争や地方豪族の台頭で政治が混乱し935年に滅亡
β倭
後漢(光武帝)…金印紫緩を授かる「漢委奴国王」
三国時代(魏)…卑弥呼が来朝し、「親魏倭王」の金印を授かる
南北朝時代(宋)…倭の五王(倭王武=雄略天皇)がたびたび来朝
隋の統一後…推古天皇の摂政。聖徳太子が遣隋使を派遣
唐の成立後…遣唐使を14回派遣し中国の文化等を受け入れる
      高宗~則天武后間が遣唐使の最盛で廃止後は純日本的な平安文化が発展
γチベット
別名( 63 )
ソン・ツェン・ガンポ王が統一国家を建設
仏教を取り入れチベット固有の民間信仰と融合させたラマが発生した
Ⅹ五代十国と北宋
α五代十国
( 52 )が後梁を建国し都を( 64 )に置く
五代…華北で成立した五つの短命の王朝。後梁・後唐・後晋・後漢・後周
十国…江南などに成立したローカル政権
936年、石敬塘が後晋を建国した際援助してくれた契丹族に報酬として燕雲十六州を与える
→動乱の時代で多くの貴族層が没落し新たな支配層が登場する
・( 65 )…節度使(唐の辺境周辺の防衛官)が変化した軍閥
・新興の地主層が各地で勢いを増し科挙を目指す
β北宋
( 66 )…北宋を建国した後周の武将。( 64 )に都を置く
節度使の力を抑えるため軍隊を禁軍中心とし、その司令官を複数任命、権力の分散を図った
( 67 )…科挙により知識教養のある人物を登用させた
( 68 )…( 66 )の弟に当たり、二代目太宗として中国全土を統一した
γ宋の社会と文化
新しい支配者
・( 69 )…勢いのある家柄
・( 70 )…科挙に合格して官僚が出た家
・( 71 )…儒教の教養を身につけた政治的・社会的指導者層。科挙出身の文人官僚をさす
・( 72 )…儒教の学者や知識人
科挙制の整備
解試(各地方ごとの予備試験)→省試(尚書礼部の試験)→( 73 )(皇帝本人が行う最終審査)
地主佃戸制…地主が小作地を貸し出し、佃戸(小作人)が50%の小作料を支払う。
農業生産の飛躍的向上
 干拓や堤防の建設により于田・囲田・湖田などが発達
 ( 74 )と呼ばれる日照りに強い早稲種も出現する
 「蘇湖(江折)熟すれば天下足る」
大運河の建設
物資の大量搬送が可能となり、各地に特産物が出来始める(茶・陶磁器・絹織物など)
都市の発達
 宋代の商業地域(交易場)…草子が発達し市・鎮となった
 ( 75 )…茶館や酒楼が並ぶ不夜城
 ( 76 )…泉州や広州に設置された海上貿易の管理を行った役所
δ改革と滅亡
( 77 )…文治主義と対外消極策を採用し北方民族の侵入を招いた。
     また、1070~1076年の間に七つの方による経済改革を実施した
( 78 )…1004年に締結された北宋と遼の講和条約
慶暦の和約…1044年に締結された北宋と西夏の講和条約
王安石の経済改革
青苗法・均輸法・市易法・募役法・保甲法・保馬法・方田均税法
( 77 )を中心とする新法党と( 79 )が中心となった旧法党の対立
→国力の衰退や混乱
( 79 )…歴史書「 80 」を著した
1125年、( 81 )と結託して遼を滅ぼすも( 82 )で滅亡する
徽宗…「風流天子」と呼ばれた北宋の皇帝。( 83 )という院体画が有名
17:DIGITAL :

2010/11/29 (Mon) 22:09:18

ⅩⅠ宋代の中国周辺民族
α遼
モンゴル系民族の( 83 )である( 84 )が建国した
936年に( 85 )を獲得、1004年には( 78 )を締結
主に( 86 )による支配の体制を用い遊牧民は部族制、農耕民は州県制で統治し、
それぞれに北面官と南面官を置いた
1125年に滅亡するも王族の( 87 )が西に脱出し西遼(カラキタイ)を建国
β西夏
チベット系民族の( 88 )である( 89 )が建国
1044年に慶暦の和約を結ぶが、1227年にチンギスハンに征服され滅亡
西夏文字を作成。
γ金
ツングース系民族の( 90 )である( 91 )が建国
北宋と同盟して遼を滅ぼし、そのご北宋も滅ぼす
華北を支配し南宋と和議した結果( 92 )に国境をおいた
港を大都(今の北京)に置き繁栄した
遼と同じく( 86 )での支配を行い、遊牧民・狩猟民には部促成の一種である( 93 )で、
農耕民には州県制での支配を行った
女真文字という文字を作成した
また、王重揚が( 94 )という道教の一種を作り流行した
( 95 )という紙幣を大量発行してインフレーションを招き1234年に滅亡した
δ南宋
北宋の皇族高宗が南に逃れ建国
金と戦うか和議を結ぶかで主戦派である( 96 )と講和派である( 97 )が対立
結果、金と和議を結び( 92 )を国教とした
1289年にモンゴル帝国の( 98 )の攻撃により滅亡=( 99 )
ε宋代の儒学
( 100 )…「太極図説」を著した宋学の祖。理気二元論や・性即理説・大義名分論。
     また、( 101 )という中華思想も立ち上げた
この理論を二程(程顥・程頣の兄弟)が受け継ぎ発展させる
南宋になり朱熹が朱子学を大成
また( 102 )は心即理を説いて陽明学の祖となった
18:DIGITAL :

2011/02/28 (Mon) 00:29:55

ヨーロッパ世界
西ヨーロッパ世界の成立
Ⅰ民族大移動
( 1 )…紀元前後にバルト海~北海にかけて発生した民族。主に狩猟と農耕で生活
    その後ローマへの人口流出が盛んになり小作人・傭兵・下級官吏として生活した
    300年代の( 2 )の侵入により大移動。それに伴いローマ帝国を滅亡させた
( 2 )…アジア系の遊牧民。王( 3 )の下で最盛を向かえ各国を侵略した
    ( 4 )での敗北後、パンノニアに建国した
( 4 )…451年の( 2 )対西ローマ・西ゴート・フランクの連合軍の戦い。後者の勝利
・( 1 )が建国した国
( 5 )…418年~771年にイベリア半島に建国。ウマイヤ朝により滅ぼされる
( 6 )…493年~534年にイタリアのラヴェンナを中心に建国。東ローマにより滅亡
( 7 )…( 6 )が滅亡したあと、ラヴェンナを中心に建国。フランク王国により滅亡
( 8 )…429年~534年に北アフリカのカルタゴを中心に建国。東ローマ帝国により滅亡
( 9 )…443年~534年にフランスを中心に建国。フランク王国により滅亡
( 10 )…北ドイツからブリテン島に移住し建国。ヘプターキー(七王国)を建国
 829年にエグバート王によって統一され、879年に( 11 )が再統一する
( 12 )…481年に( 13 )がライン川を渡った全( 1 )を統一し建国。
Ⅱフランク王国
( 13 )…フランク王国を建国した初代の王。496年にキリスト教アタナシウス派に改宗
( 14 )…( 13 )が建てたフランク王国最初の王朝。
500~600年代には分割相続により低下した王権に宮宰が台頭した
( 15 )…732年に起きたウマイヤ朝との対立。宮宰( 16 )の活躍により勝利
( 17 )…( 16 )の子ピピンがクーデターを起こし建国した王朝。
建国の際ピピンはローマ教皇に教皇領としてラヴェンナ地方を寄進した
( 18 )…フランク王国全盛時の王。800年に戴冠し、西ローマ帝国皇帝となった
( 18 )の主な業績
・( 7 )を滅ぼす
・ザクセン族の征服
・イスラム教徒の撃退
・モンゴル系柔然、アヴァール族の侵入を撃退
・全国を州に分け、伯に支配させ、伯は( 19 )に監視させた
・カロリングルネッサンスと呼ばれる文化の保護を行った
( 19 )…843年ロタール・ルートヴィヒ・カールの3名がフランク王国を3分割した
    ロタールは中央フランク(現イタリア)、ルートヴィヒが東フランク(現ドイツ)
カールが西フランク(現フランス)を領土とした
( 20 )…ロタールの子のルートヴィヒ・ルートヴィヒ・カールの条約。言語を分化した
※その後の情勢
イタリア…845年に王家が断絶し、分裂・混乱した
ドイツ…911年に王家が断絶し、選挙王政となる
936年ザクセン公がドイツ王となり、( 21 )がマジャール人の侵入を撃退し戴冠
    その後、ドイツは( 22 )と呼ばれるようになる
フランス…987年に王家が断絶。王を選挙しパリ伯の( 23 )が即位し( 24 )が始まる
Ⅲ教会勢力の発展と衰退
αローマカトリック教会の成立
・ローマ皇帝の迫害とミラノ勅令、ニケーア宗教会議とテオドシウス帝による国教化
五代本山…ローマ・コンスタンティノーブル・アンテイオィア・アレクサンドリア
イェルサレムなどの大教会が各地方の本山となった
・ローマ教会が独自の地位を確立し、その地で聖ペテロ・聖パウロが殉職。
・ゲルマン民族大移動時に教皇が権威を確立。レオ1世がフン族の侵入阻止、
 グレゴリウス1世がゲルマン民族への布教と聖歌の制定を行った
・ゲルマン王との提携→世俗の権力の入手
・東ローマ帝国教会がコンスタンティノーブル教会と対立し、西ヨーロッパの教会に
対する優越性を主張、古代ローマ帝国教会の継承を行った
・726年ビザンツ皇帝が周辺のイスラム勢力へ対立から( 25 )を発布、
ローマ教会へも強要し、東西教会の対立を生んだ
・1054年東西教会が( 26 )と( 27 )に分裂し1963年末まで対立が続いた
( 27 )…聖像(icon)崇拝などを行ってスラヴ人の入信をはかった
β中世の教会
( 28 )…ローマ教会で完成した聖職者の階級制度。教皇・大司教・司教・司祭・信者の順
また教会の世俗化なども発生する
→・聖職売買の横行
 ・( 29 )…信者から年収の10%を徴収し、聖職者の中では飲酒・妻帯などが横行した
→( 30 )の発生
( 31 )…( 30 )の一環として中部イタリアに( 32 )を建設。「祈れ、働け」を掲げた
( 33 )…910年にフランス南部に建設された修道院。「ベネディクトゥスに帰れ」を掲げた
γ叙任権闘争
1000年代には( 32 )による教会改革運動が進みドイツで聖職者叙任問題が発生した
→ローマ教皇( 34 )と神聖ローマ皇帝( 35 )が対立。( 34 )が( 35 )を破門した
( 36 )…( 35 )が( 34 )に破門を解いてもらうため謝罪。これにより教皇権力が上昇した
1122年に( 37 )により教会と皇帝の対立が和解した
( 38 )…1200年代の皇帝。「教皇は太陽、皇帝は月」の名言を残した
→その後、十字軍の失敗などの理由により強行権力が衰退
時代は宗教改革へと移り変わる・・・
Ⅲヴァイキングの活動
( 39 )…別名ヴァイキング。ゲルマン民族の中で最も北方に居住した
・デーン系
911年に首長( 40 )を中心に西フランク王国を侵略。ノルマンディ(セーヌ川下流)を入手し
( 41 )を建国。
1016年には( 42 )がイングランドを征服し( 43 )が成立する
その後( 41 )の子孫ウィリアムがイングランドを再び征服し( 44 )を建てる
ウィリアム一世は( 45 )と呼ばれる税の徴収台帳を作成した
その後、ルッジューロ二世が南イタリアを征服、( 46 )を建国した
・スウェード系ヴァイキング
バルト海への進出
→ルス族のリューリクがスラヴ民族の土地へ侵入し862年に( 47 )を建国
→その後、ルス族のオレーグが882年に( 48 )を建国した
・ノルウェー系ヴァイキング
860年にアイスランドに到達し938年にはグリーンランドに到達
1000~1004年ごろには大西洋を横断し北アメリア大陸に到達した
Ⅴ封建社会の確立
外敵(他のゲルマン民族やイスラム教徒)の侵入→封建的主従関係の成立
封建的主従関係
・皇帝や国王⇔諸侯⇔小領主(封土⇔軍事奉仕)
・カールマルテルの「従士制」とローマ末期の「恩恵地制」を源流とする
※荘園農奴の義務
領主への税
・貢納…現物納入
・( 49 )…労働地代。金納に代えられる
・諸税納入…死亡税、結婚税、関税など
・( 50 )…領主裁判権に服すること
教会への税
・( 29 )を寄付
※領主の権利
( 51 )…国王や官吏の立ち入り及びその職務執行が免除される
※荘園の構造
農耕地を春耕地・秋耕地・休耕地の三つに分け共同作業による( 52 )や( 53 )が行われた
農民は耕地が短冊状に別れた地条を有し、( 54 )と牛を用いて耕作した
短冊状に分かれていたのは他の農奴と同じ条件で土地を分割するため
Ⅵ十字軍とその影響
( 55 )…イベリア半島でキリスト教徒がイスラム教徒からこの地を取り戻そうとした運動
セルジューク朝の拡大とビザンツ帝国領征服
→( 56 )…セルジューク朝が1071年にトルコを占領。これによりビザンツ皇帝はローマ教皇
に救援要請をし、十字軍が提唱されるようになった
( 57 )…1095年、ローマ教皇ウルバヌス二世により聖地回復のための十字軍が提唱される
第一回遠征
 1096~1099年。聖地イェルサレムを奪還し、イェルサレム王国を建国した
第二回遠征
 1147~1149年。再度奪われたイェルサレムを再再度奪還
第三回遠征
 1189~1192年。アイコーブ朝の王サラディンと十字軍が戦い仏国王と英国王が捕虜となった
 当時のイギリス国王リチャード一世は獅子心王と呼ばれていた
第四回遠征
 1202~1204年。ローマ皇帝イノケンティウス三世の提唱により実施。ビザンツ帝国の首都、
コンスタンティノーブルを襲撃したが参加者は破門されラテン帝国を建国した
第六・第七回遠征
 1248~1254年、1271年。フランス国王ルイ9世が南アフリカのマムルーク朝と戦った
その後、イェルサレム公国の都市アッコンが陥落したことにより十字軍は終了した
Ⅶローマ教皇権の衰微
フランス王フィリップ四世が教会への課税を計画しローマ教皇ボニファティウス8世と対立
( 58 )…1303年、フィリップ四世がボニファティウス8世を拉致した
( 59 )…1309年から1377年に亘り教皇がフランスのアビニョンに移転させられた
( 60 )…別名「教会大分裂」。ローマ・アヴィニョン・ピサに三人の教皇が存在した
( 61 )…神聖ローマ皇帝ジギスムントが開催。教皇を一本化しウィクリフとフスを処刑した
Ⅷ商業の復活
・三圃制の成功→余剰生産物の販売が生まれ、( 62 )を代表とする定期市が開催された
・道路交通の整備→宿場町の形成に伴う都市の成立
・銀山採掘→銀貨による貨幣経済の復活
市民は領主の支配からの開放を求め国王に政治献金をし、( 63 )を手に入れた
また、イタリアではコムーネ、ドイツでは帝国都市などが成立し、
対アジア貿易であるレバント貿易が行われた
※都市同盟の成立
( 64 )…12~13世紀に発展した南の都市同盟。イタリア・ミラノを中心に26市が参加
( 65 )…13世紀に発展した北の都市同盟。北ドイツ・リューベクを中心に80市以上が参加
    四大在外商館としてロンドン・ブリュージュ・ベルゲン・ノヴゴロドがある
( 66 )…都市同盟同士をつないだ都市。ロンドンやアムステルダム、シャンパーニュ地方、
    アウグスブルク・ニコンベルク(現ベルギー)、フランドル都市など様々な都市がある
※ギルドについて
ギルド…同じ職種の人たちの商業組合。( 67 )と( 68 )の二種類で都市の政治を担当した
( 69 )…( 67 )と( 68 )の闘争。これにより( 68 )も政治に参加できるようになった
Ⅸ封建制の崩壊
・貨幣制度の普及により、租税を金納できるようになり農民の負担が軽減された
・( 70 )の大流行により人口が激減。領主は一時的に租税を減額するも元に戻した際、
農民の反感を買い農民一揆が多発した
( 71 )…1358年にフランスで発生した
( 72 )…1381年にイギリスで発生。ジョンボールが、
「アダムが耕しイヴが紡いだとき誰が貴族であったか」という名言を残した
→領主の権力が低下したことにより相対的に国王の権力が上昇した
 また各地に独立自営農民も発生した
Ⅹイギリス王権の成立と議会の発生
αこれまでのイギリス
ケルト人→アングロサクソン登場→デーン王朝→ノルマン王朝
β王権成立
1154年ノルマン王朝断絶
→フランス北西部のアンジュー伯ヘンリー二世を新王として( 73 )が成立
獅子心王エドワード一世が第三回十字軍に参加
( 74 )…在位1199~1216年。結婚問題でフランス王と対立し領土を没収される。
    カンタペリー教会の司教任免問題で教皇と対立、破門され謝罪する。
    イギリス国内への課税率を上げる。など様々な失敗が知られる
( 75 )…1215年に( 74 )が制定。教会の自由と新規課税の際王国全体で協議することなどが
示されている。王権に対し初めて優越性を持った法律。
→ヘンリー3世が( 75 )を守らず重税を重ねる。
→これにより( 76 )が1265年に議会を開催。イギリスの身分制議会の起源となる
( 77 )…1295年に開催された議会。貴族・聖職者・騎士・ギルドから代表を
それぞれ二人づつ招集した
( 78 )…1340年代にエドワード3世に対抗して開催された。
    議会を上院と下院の二院に分け増税法案の審議により時間が掛かるようにした
γフランス王権の確立
987年、カペー王朝が始まる
( 79 )…在位1180~1270年。第三回十字軍に参加しジョン王の領土を没収。
    南フランスのアルビ派のキリスト教徒を( 80 )により征服
( 81 )…在位1223~1270年。第六・七回十字軍に参加、モンゴルへの布教を行った聖王
( 82 )…在位1285~1314年。国内の教会に課税するため身分制採決の( 83 )を開催、
    ボニファティウス8世と対立しアナーニ事件・教皇のバビロン捕囚を起こした
1328年カペー王朝が断絶。ヴァロア伯( 83 )を王として( 84 )が成立
( 85 )…1339年から1453年にかけたフランスとイギリスの戦争
・イギリス王( 86 )がフランス領土に侵入、息子の「エドワード黒太子」が活躍
・1346年に( 87 )、56年に( 88 )が起こる
・ペストの流行に伴う農民の反乱で一時的に休戦に陥る
・1400年初頭、不利であったフランスを( 89 )が指揮し始める
・( 89 )の活躍で1429年に( 90 )でフランス軍が勝利。そこから形勢が逆転し、
1453年にフランスの勝利で終戦。イギリスは港都市カレーを残し撤退
※戦争の背景
・フランドル地方…中継都市としてヨーロッパ第一の毛織物工業地帯
 フランドル伯は親仏的だが住民は親英的
・ギュイエンヌ地方…南フランス、ボルドー港に位置する。元仏領→当時は英領
19:DIGITAL :

2011/02/28 (Mon) 00:41:56

1  ゲルマン民族
2  フン族
3  アッツィラ
4  カタラウヌムの戦い
5  西ゴート
6  東ゴート
7  ランゴバルト
8  ヴァンダル
9  ブルグンド
10 アングロサクソン
11 アルフレッド王
12 フランク
13 クローヴィス
14 メロヴィング王朝
15 トゥールポワティエ間の戦い
16 カールマルテル
17 カロリング王朝
18 カール大帝
19 ヴェルダン条約
20 メルセン条約
21 オットー
22 神聖ローマ帝国
23 ユーグカペー
24 カペー王朝
25 聖像禁止令
26 ローマカトリック教会
27 ギリシア正教会
28 ヒエラルキア
29 十分の一税
30 修道院運動
31 聖べネティクトス
32 モンテカッシーノ修道院
33 クリューニー修道院
34 グレゴリウス七世
35 ハインリッヒ四世
36 カノッサの屈辱
37 ウォルムス条約
38 イノケンティウス三世
39 ノルマン人
40 ロロ
41 ノルマンディ公国
42 クヌート
43 デーン王朝
44 ノルマンディ公爵
45 ノルマン王朝
46 ドュームズデイブック
47 ノヴゴルド国
48 キエフ公国
49 賦役
50 経済外的強制
51 不輸不入の権
52 開放耕地制
53 三圃制
54 重量有輪犂
55 レ・コンキスタ運動
56 マンジケルトの戦い
57 クレルモン公会議
58 アナーニ事件
59 教皇のバビロン捕囚
60 大シスマ
61 コンスタンツ宗教会議
62 シャンパーニュの大市
63 特許状
64 ロンバルディア同盟
65 ハンザ同盟
66 中継都市
67 商人(マーチャント)ギルド
68 同職(クラフト)ギルド
69 ツンフト闘争
70 黒死病
71 ジャックリーの乱
72 ワットタイラーの乱
73 プランタージネット王朝
74 ジョン王
75 マグナカルタ(大憲章)
76 シモンドモンフォール
77 模範議会
78 二院制議会
79 フィリップ二世
80 アルビジョワ十字軍
81 ルイ九世
82 フィリップ四世
83 フィリップ六世
84 ヴァロア王朝
85 百年戦争
86 エドワード三世
87 クレシーの戦い
88 ポワティエの戦い
89 ジャンヌダルク
90 オルレアンの戦い
20:理子から貰えればそれでいい、いやそれがいい :

2011/03/05 (Sat) 09:15:58

三国時代の答えを貼ってよ
21:DIGITAL :

2011/03/06 (Sun) 00:14:21

16と28は無い

1  董卓
2  曹操
3  赤壁の戦い
4  孫権
5  洛陽
6  屯田法
7  九品中正法
8  西晋
9  諸葛孔明(亮)
10 司馬炎
11 匈奴
12 五胡十六国
13 鮮卑
14 東晋
15 淝水の戦い
16 
17 拓跋
18 新天師道
19 孝文帝
20 均田制
21 三長制
22 隋
23 司馬睿
24 土断法
25 占田法
26 課田法
27 戸調制
28 
29 雲崗
30 竜門
31 仏図澄
32 鳩摩羅什
33 達磨
34 大興城
35 科挙
36 太宗
37 律令体制
38 三省六部
39 御史台
40 州県制
41 覊縻政策
42 突厥
43 白村江の戦い
44 則天武后
45 武韋の禍
46 玄宗
47 募兵制
48 タラス河畔の戦い
49 安史の乱
50 両税法
51 黄巣の乱
52 朱全忠
53 飛銭
54 大食(タージ)
55 番坊
56 市舶司
57 大唐西域記
58 南海寄帰内法伝
59 箕子朝鮮
60 衛氏朝鮮
61 広開土王
62 骨品制
63 吐蕃
64 汴州
65 藩鎮
66 趙匡胤
67 文治主義
68 趙匡義
69 形勢戸
70 官戸
71 士大夫
72 読書人
73 殿試
74 占城稲
75 瓦市
76 市舶司
77 王安石
78 澶淵の盟
79 司馬光
80 資治通鑑
81 靖康の変
82 桃鳩図
83 契丹族
84 耶律阿保機
85 燕雲十六州
86 二重統治体制
87 耶律大石
88 タングート族
89 李元昊
90 女真族
91 完顔阿骨打
92 淮河
93 猛安謀克
94 全真教
95 交鈔
96 岳飛
97 秦檜
98 フビライハン
99 厓山の戦い
100 周敦巸
102 陸九淵
22:DIGITAL :

2011/03/06 (Sun) 15:13:12

ヨーロッパのつづき

ⅩⅠスペインとポルトガル
αこれまでの歴史
ローマ帝国領→西ローマ帝国領
西ゴート王国(アリウス派→アタナシウス派)首都:トレド
→711年ウマイヤ朝の征服(イスラム教)
→( 96 )領。首都:コルドバ
→( 55 )…国土回復運動(主に対ムラービト朝・ムワッヒド朝)
βスペインとその他の王国
( 97 )…ナヴァル王国と合併。イベリア半島北東部を支配
( 98 )…レオン王国と合併。イベリア半島を北部から中部にかけて支配
( 99 )…イベリア半島西部の港に建国した。
( 100 )…1492年、( 97 )の王子フェルナンドと( 98 )王女イザベル(=カトリック両王)
の結婚により成立
91 ジャッククール
92 バラ戦争
93 ランカスター家
94 ヨーク家
95 テューダ王朝
96 後ウマイヤ朝
97 アルゴン王国
98 カスティーリャ王国
99 ポルトガル王国
100 スペイン王国

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